WPC2017年講演者(旧)

WorldPeaceCoaching2017講演者

政近準子氏

1965年、広島県生まれ。パーソナルスタイリスト創始者。ファッションレスキュー代表取締役。パーソナルスタイリストプロ育成校「PSJ」学院長。 大手アパレル企業でデザイナーとして勤めたのち25歳でイタリアへ渡り、ファッションの真髄を学ぶ。帰国して、2001年「ファッションレスキュー」を創業。日本人初となる個人向けスタイリングサービスを開始する。タレント、政治家、会社社長、起業家などの富裕層のほか、主婦やOLなども多く顧客に持ち、これまでのべ2万人をスタイリングする。 NHK「あさイチ」「助けて!きわめびと」「TOKYO FASHION EXPRESS」、日本テレビ系「スッキリ!!」、テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」などの出演するなど、各メディアで活躍中。2016年3月より故郷の地方紙、中国新聞にて「いい日、いい服」連載開始。 著書に『「似合う」の法則』『「好き」を超えたら「似合う」がある』(以上集英社)、『人生は服、次第。』(宝島社)、『一流の男の勝てる服、二流の男の負ける服』(かんき出版)ほか多数。 プライベートでは、1992年に結婚。ふたりの子を持つ母でもある。

苫米地英人氏

1959年、東京生まれ。認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。計算幾科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同Cylab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、全日本気功師会副会長、米国公益法人The Better World Foundation日本代表、米国教育機関TPIインターナショナル日本代表、財団法人日本催眠術協会代表理事。 マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社。2年間の勤務を経て、フルブライト留学生としてイエール大学大学院に留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピュータ科学の分野で世界最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入。全米で4人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。現在は米国認知科学の研究成果を盛り込んだ能力開発プログラム「PX2」「TPIE」を日本向けにアレンジ。日本における総責任者として普及に努めている。 著書に『洗脳広告代理店 電通』(サイゾー)『日本の盲点(スコトーマ)』(ヒカルランド刊)『経済大国なのになぜ貧しいのか?』『現代版 魔女の鉄鎚』『まずは親を超えなさい!』『残り97%の脳の使い方』『英語は逆から学べ!』 『英語は逆から学べ!実践トレーニング編』『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方~「クリティカルエイジ」を克服する加速勉強法~』『脳と心の洗い方~ 「なりたい自分」になれるプライミングの技術~』(フォレスト出版)、『本当はすごい私』(講談社)『年収が10倍アップする 超金持ち脳の作り方』(宝島社)『洗脳』(三才ブックス)、『ドクター苫米地の新・福音書』(講談社)、『スピリチュアリズム』(にんげん出版)、『心の 操縦術』(PHP研究所)、『洗脳原論』(春秋社)、『夢をかなえる洗脳力』(アスコム)、『洗脳護身術』(三才ブックス)、翻訳書に『CIA洗脳実験室』(デジタルハリウッド)など多数。 ◆ドクター苫米地公式ブログ→ドクター苫米地公式ブログ

北別府学氏

1957年7月12日生まれ。鹿児島県曽於市出身。元プロ野球選手(広島東洋カープ)投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍。現役時代に残した通算213勝は日本プロ野球歴代第18位記録、先発勝利数200勝は歴代第10位記録で、共に広島東洋カープの球団記録でもある。非常に理想的な美しい投球フォーム、精密機械と呼ばれるほどの抜群の制球力を持つ。 1976年に宮崎県立都城農業高等学校からドラフト1位で広島東洋カープに入団。 入団1年目から1軍で登板し、勝ち星を挙げる。3年目の1978年に10勝を挙げると、この年から1988年まで11年連続二桁勝利を達成。1979年にはチームトップの17勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献。 1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得。1986年には9月、10月で7勝0敗を記録しチームのリーグ優勝に大きく貢献。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞に輝いた。 1991年に11勝挙げると同時に最高勝率のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献。1992年7月16日、対中日ドラゴンズ戦で球団史上初の200勝を達成、これは同時に日本プロ野球における20世紀最後の200勝到達でもある。 引退後は2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。 2005年より広島ホームテレビ解説者を務めている。2005年から2007年まではデイリースポーツ野球評論家も兼任。2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版。2010年からは沢村賞の選考委員を務める。 2012年1月13日、野球殿堂に競技者表彰にて選出。 現役の選手の中に混ざって20位以内に入るほどの人気ブロガーとしても有名。 現在は、芸能プロダクションのホリプロ所属。2015年に趣味の家庭菜園にまつわるコラムを『中国新聞SELECT』にて連載。 北別府 学Official Website→

梅沢富美男氏

1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳5ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。 父(故 梅沢清)は大衆演劇(剣劇)一座の座長で、戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期の大スタ-で、浅草「常盤座」等の劇場を超満員にした程の花形役者であった。母(故 竹沢籠千代)は娘歌舞伎出身。梅沢劇団は、歌舞伎演目のパロディ-芝居、ミュ-ジカル仕立てのショ-、レビュ-を得意とする。(これらに梅沢富美男の歌謡ショ-を織りまぜた3部構成で舞台が行われている)その中で梅沢富美男の役どころは二枚目から三枚目、艶やかな女形姿にての舞踊までと幅広くこなしている。テレビ出演も精力的で、子供から大人までの幅広い年齢層からの支持を受けている。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋桂作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。 ◆梅沢富美男公式ホームページ→梅沢富美男チャンネル